ブロックチェーンによるイノベーション・マネジメントにおける法システム上の課題について(公開論文)


弊社代表を務める細谷雄一が、2021年2月に提出した修士論文を公開させて頂きます。

タイトルに副題を付加するとすれば、「特許法における消尽論の再構築に関する考察」となりますでしょうか。予めお断りさせて頂きますが、入学当時、法学について全くの門外漢であった一人の技術者が、ブロックチェーンによる情報システムの社会実装を検討するにあたり、社会人大学院で行った僅か2年間の成果発表ですので、タイトルから推定されるほど広い分野をカバーするものではなく、専攻していた特許法の一領域(消尽論)についてのみ考察しております。

まずは、以下に引用する結論に目を通して頂き、何らかの関心事が含まれているかどうかをご検討ください(このパートは、提出期限直前に書いたこともあり、十分な推敲ができておらず、申し訳ございません)。

現在、イーサリアムをはじめとするブロックチェーンを生業とする企業においては、様々な価値の移転を可能ならしめるために、現実の世界に存在する権利を内在化するための様々な実証実験が試みられている。
また内在的資産と外在的資産を同期させる技術は、既に実現済みのものもあれば、実証実験が行われているもの、仕様の策定が検討中のものなど、外在的資産の種類によって状況は様々である。
しかしながら、現実的な世界で本来自由に契約することによって得られる債権的な権利に、イーサリアム等のブロックチェーン技術を活用して、二重譲渡を技術的に困難にして取引の安全性を確保する試みは、とりわけ法政策的に創り出された特許権、とりわけ債権的な通常実施権においては、究極のデジタル社会の実現を目指すSociety 5.0においては、想定される課題を事前に洗い出しておくためにも、むしろ避けられない検討課題ではないかと考える。
本稿では、消尽法理における特許権者と特許製品購入者のバランスが、これまでどのような前提の下で調整が図られてきたかを眺めてきたが、少なくともそれが売り切りモデルという収益モデルを前提としていることが明らかとなったのではないだろうか。そして、近い将来訪れるであろうSociety 5.0の社会では、あらゆるモノ(Things)の常時接続を前提とした経済モデルを考える必要に迫られるであろうから、その際には一つの試みとして特許権者が継続的に収益を得ることができ、それが予め合意されたタイミングで遮断されることが、新たな消尽法理によって法的にも裏付けられるのであれば、上記のような試みを行うことにも何らかの意義を見出せるのではないかと考える。
ところで、私自身のそもそもの問題意識は、とある文献で以下のようなコメントにであったことであった。

「特許法の分野においても、特許権者の利益と他人の行為を制限することの弊害および技術の発達との調和点をどこに求めるのか、ということはますます重要な論点となろう」*

 本稿によって、実際に検討できた法システム上の課題は、特許制度の一環をなすものと理解されている消尽法理のみであって、いうまでもなく想定される問題のごく僅かなテーマであり、しかもその考察においては、既存の記述をもってすれば実現するであろう、ブロックチェーン技術によるコネクティッド・エコノミーを前提としている。
 したがって、その考察過程や結論は、あくまでも将来実現することが想定される社会を前提とするビジョンに基づくものであり、しかも一見すると監視社会を実現するためのプラットフォームではないかと少なからず否定的な評価を免れないと考えている。
 しかしながら、本稿の執筆のもう一つの動機は、Society 5.0において、まさしく気が付かなければいつの間にか実現されてしまいかねない、イーサリアムによる悲観的なシナリオを共有させて頂くことでもあった。具体的には、ローレンス・レッシグが警鐘を鳴らし続けている、「コードが法」であるという懸念事項が、もしかするとパブリックでオープンなプラットフォームによって現実のものとなり、良くも悪くも、これまで想定していなかった革命が、イノベーションという名の下に生み出されると想像することを禁じ得ないのである。
 果たしてイノベーションを促進するというパブリックなプラットフォームは、本当に正しい方向へ向かおうとしているのだろうか。私自身、このような大きくもぼんやりとした問題意識の下に可能な限り考察を試みたつもりではあるが、少なくとも将来本稿がSociety 5.0の実現する社会に向けた取り組みおいて何らかの一助になることを願うばかりである。

* 中山信弘『特許法 法律学講座双書』(弘文堂、第4版、2019)339頁。

2年ぶりに読み返してみると、むろん修正・加筆を試みたいという衝動にも駆られましたが、現在も他の専攻(情報学)で大学院に在籍している立場でもあることから、研究者としての実績を積み、将来機が熟したタイミングで改めて検討したいと思います。

この度、恥を忍んで本拙稿を公開した趣旨は、内容的に弊社のヴィジョンを補完するものであり、またブロックチェーンを通じて技術と社会システムの結節点を模索する研究の面白さを一人でも多くの方々と共有したかったからです。

背景:追及権という利益分配の仕組み

国内における現行の著作権法には規定されておりませんが、「追及権」という権利をご存じでしょうか。欧州における多くの国では、「追及権」という権利が著作権法に規定されています。詳しい内容については他の文献*1に委ねますが、美術作品等に関する特定の著作権について、作者の手を離れて売却された後、さらに転売された際にも、一定の利益が還元される制度です。

*1 追及権について比較的入手しやすい文献としては、以下のようなものが参考になります。
[1] 小川明子『文化のための追及権-日本人の知らない著作権』(集英社新書、2011)
[2] 水野祐『法のデザイン-創造性とイノベーションは法によって加速する』(フィルムアート、2017)141~143頁。
[3] 小川明子/司会「追及権をめぐる課題」高林龍編『著作権侵害をめぐる喫緊の検討課題 2』(成文堂、2012)301~326頁。

本論文の中では言及しておりませんが、構成を考えるにあたりアイデアの着想を得たのは、このような著作権法の仕組みを知ったことであることは間違いありません。

いくつかの NFT のプラットフォームにこのような追及権に相当する仕組みが実装されていることを知ったのは本論文を執筆した後のことでしたが*2、あらゆるデバイスがネットワークに接続された Society 5.0 の社会を前提に、ブロックチェーンの仕組みを利用して類似の制度を特許権に応用し、転売によって取得した転得者に対しても特許権を行使しうる可能性について考察しました。

*2 天羽健介・増田雅史『NFT の教科書-ビジネス・ブロックチェーン・法律・会計まで デジタルデータが資産になる未来』(朝日新聞出版、2021)198~203頁

むろん、仲介業者や転得者の立場からは、物議を醸す余地が十分にあることは想定しておりますが、著作権法における作者に相当するところのメーカーにおいては、このような仕組みを構築することによって投下資本を回収しやすくするメリットが考えられます。

また独禁法にも配慮し、メーカーが無制限に権利を行使することがないよう、予め回収したい投下資本額を宣言し、これを限度額とする金額をブロックチェーン上のスマートコントラクトを利用して回収することを想定しています。回収額の設計次第では、いわゆるアーリーアダプターに対して購入時に支払った金額に応じて転売プロセスにおける一定の利益を還元することも技術的には可能です。

なお、本論文の主旨は、ブロックチェーン技術を利用して、そのような追及権類似の仕組みを特許権においても検討すべきある、と提言しているわけではなく、既に技術的には実現可能となっている現状において、ブロックチェーンのあるべき用途につき問題提起を行うことでした。

特許制度における消尽法理の考え方

何らかの発明を行い、その技術を利用して何らかの製品を生産したり、使用したりしている場合、その発明に特許権が成立しているならば、発明を実施していることになります。

このことは、製品を生産するメーカーの立場で考えれば、ごく当たり前のこととして受け入れられると思います。

一方で、そのような製品を購入して使用する消費者の立場で考えた場合はどうでしょうか。メーカー直販で購入した場合でも、自ら所有する製品に対して何ら特許権を実施していることは意識しないでしょうし、メーカーからそのような特許権の実施に基づく使用料を求められることもないはずです。

このように製品が流通過程に乗った段階で、メーカーが特許権を行使できなくなるという考え方は、特許制度の仕組みでは「消尽」と呼ばれ、一般には常識として受け入れられています。その根拠は様々ですが、その一つにメーカーは、一度販売された製品の対価を受け取った段階で、使用料に相当する投下資本を回収済みであるから、さらにこれを転売によって取得した第三者(転得者といいます)に対してまで請求することは、①転得者は取得時点で知り得ないため取引の安全を害し、②一般通念にも反する、と主張する説があります。

確かに、そう考えることが常識にも合致すると思われますし、そもそも国家が独占的な権利を認める特許権は、合理的な範囲でのみ認めるべきであって、これを広く解釈しようとすることは、独禁法に抵触する可能性すら想定されることです。いずれにしても、どこかのタイミングで、特許権が及ぶ範囲を遮断しなければならないことは言うまでもありません。

しかしながら、特許権を遮断するにあたり、どのようなタイミングが合理的な範囲であるかは、時代によって変わってくる可能性があります。たとえば、本論文の結論の中で引用している中山信弘先生の文献には、以下のような記述があります。

「特許法の分野においても、特許権者の利益と他人の行為を制限することの弊害および技術の発達との調和点をどこに求めるのか、ということはますます重要な論点となろう」

つまり、技術が発達することによって、特許法によって保護されるべき特許権者の利益と、その権利行使によってもたらされる他人の行為への弊害の妥協点は、時代によって変化しうるものであると考えることができるわけです。

このことを特許権の消尽について当てはめてみれば、「メーカーが製品を販売した時点で特許権が消尽すると解釈するのか、流通過程においても消尽せずに権利行使しうると解釈するのかは、その時代の技術水準に依存して検討する必要がある」と解釈することができます。

実は、現在一般に受け入れられているような消尽の考え方について、特許法上の明文規定がありません。むしろ、文言通りの文理解釈を試みるならば、製品の流通過程においても特許権を行使しうると解釈することが妥当であり、これに対する消尽論の根拠は、あくまでも政策的に販売時に権利が遮断されると解釈しているにすぎません。

ビジネスモデルの過渡期にある現代

近年のビジネスモデルとして、ネット動画に代表される「サブスクリプション」方式は、家電製品等の「モノ」に対しても利用されつつあります。たとえば、弊社で利用している Roomba も購入したものではなく、レンタルしているものです。

従来の製品は、一度の販売で利益を確保する「売り切りモデル」が一般的でしたが、サブスクリプションが普及するに伴い、継続的に利益を確保するビジネスモデルが広がりつつあります。ここでは、このようなビジネスモデルを区別するために「継続モデル」と呼ぶことにします。

採用しているビジネスモデルが「売り切りモデル」であれ、「継続モデル」であれ、メーカーは製品の流通過程から得られる利益によって投下資本を回収することが大命題です。

上記の論文から引用した図5では、製品1個から回収したい投下資本をP円とし、2つのモデルに応じて回収プロセスの違いを表しています。

「売り切りモデル」では、1回の販売でP円を回収する必要があるため、回収金額はP×1でP円です。これに対して「継続モデル」では、流通過程においても継続的に投下資本を回収することができるため、製品の利用者が変わる回数、利用期間、利用状況などに応じて柔軟に利益を回収することができます。

具体的な数値で考えてみると、製品1個あたりから回収したいPが、仮に6,000円であった場合、売り切りモデルでは1回の販売時点で6,000円×1回=6,000円を回収する必要があります。継続モデルは回収される金額の総計が、結果的に6,000円に達すればよいため、これを60ヶ月の利用期間に応じて毎月100円ずつ均等に回収することも、利用状況に応じてテレメトリーデータを取得し、これに応じた課金モデルを考えることも可能なわけです。

ブロックチェーンを活用した継続モデル

上記のような「継続モデル」では、一般的なレンタルやリース契約で実現されているものであり、何ら新規性を伴うものではありません。

しかしながら、これらの継続モデルは、依然として問題を抱えています。とりわけ、利用を開始する際に、比較的長期間の契約を求められるです。このことは、できる限り確実な投資回収を行いたいメーカー側の事情を踏まえればやむを得ないとも考えられますが、やはり利用者の立場では長期間の契約にそれなりのリスクを伴います。

何らかの形で、メーカー側に確実な投下資本回収の機会をもたらしつつ、ユーザー側にも利用し続ける期間を柔軟に設定するようなビジネスモデルは実現できないものでしょうか。

その一つのアイデアとしては、ブロックチェーンを活用して個別の製品ライフサイクルをスマートコントラクトで管理するという方法が考えられます。メーカーは回収したい投下資本額をブロックチェーンに登録し、その処理をアプリケーションで自動的に行えるようにするわけです。

そのためには、むろんユーザーのプライバシーやメーカーの秘匿したい技術などには十分配慮する必要がありますが、近い将来実現されるであろう Society 5.0 の社会では、あらゆるデバイスがネットワークに接続されたコネクティッド・エコノミーを前提に社会インフラが設計されます。

仮にこのような社会を前提とするならば、メーカーから販売された製品は自動的にブロックチェーンに登録され、個別の製品の利用状況などをアップロードされたデータから把握することができるため、そうした定量データに基づく合理的な資本回収が実現されます。

ブロックチェーン上のデータは、基本的に開示されるものであることから、ユーザーとスマートコントラクトの対話を通じて、将来の不確実性を最小化し、取引の安全を確保することに貢献します。

これにより、アーリーアダプター等の初期ユーザーは、新しい製品をメーカーから購入する際にも、製品ライフサイクルで期待される投下資本額総額の一部のみを負担することで足り、新しいものを購入しようとするインセンティブが刺激されます。

たとえ最初の所有者が取得した製品から期待していた便益を得られずに、短い期間の利用のみで手放したいと考えた場合でも、投下資本の回収がスマートコントラクトによって確実に行えるのであれば、ユーザーが変わることも受け入れられるはずです。

またブロックチェーンには、法的な所有権の証明を支援する機能を実装することもできるため、所有者が変わった場合でも、これを自動的に処理し、継続的に新しい所有者から利用状況に応じた投下資本回収が可能となります。

ブロックチェーンを活用するメリットは他にも存在し、その一つには、個別の製品に物語性を持たせることが挙げられます。何らかの事情でやむを得ず手放したものであっても、他の新しいユーザーも下で新たな人生を歩んでいることを知ることができるとしたら、目の前の物品に対する向き合い方も変わってくるのではないでしょうか。

本論文では、特許制度における消尽理論に着目して、技術の発展に伴う新たな妥協点を見出すべく、理論の再構築を試みました。Society 5.0 のような社会が実現していくならば、特許権が消尽するタイミングも現実に見直しが必要になっていくかも知れません。

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